top of page

作品を見る

「ザ・レッド」 ”The Red”

2021年2月1日にミャンマーで起きた軍事クーデター後、軍事情報部に拘束された中年女性「レッド」は、残虐な尋問や性的虐待から生き延びようと奮闘する。

このアニメーション映画は、クーデター中に拘留され、生き地獄の日々に耐える女性の物語である。拷問を受けながらも、この若い女性は自由、正義、平等の回復のために軍事政権に立ち向かう。フリーダムフィルムとAsia Justice and Rightsが主催する「拷問被害者を支援する国際デー」の映画祭2022年最優秀賞受賞作品。

 

監督/撮影/編集:ダイレクターH

作家から

ビルマの春革命における女性の役割は、最前線での活動など、運動の大きな支えとなってきました。しかし、彼女たちがやってきたことは、ニュースや放送で十分に報道されていません。女性の権利について取材してきた身として、軍事クーデター以来、軍事クーデターに対する革命運動に精力的に参加している女性たちに敬意を表して、この短編映画をお送りします。

2006年からジャーナリストとして活躍するダイレクターHは、ビルマでの軍事クーデター後、民主化運動家として活動し、性差別や性的虐待に直面した女性やLGBTQの実話をもとにした報道や短編映画作品を一貫して発表している。米国国際開発庁(CSM II)後援の短編映画「Memoirs of a Reporter」では、カチン州パーカンのヒスイ鉱山災害で夫や息子を失った女性に焦点を当て、受賞した。

「夢は砕け散った」”Shattered Dreams”

この映画は、レイケイコ―から逃げてきた家族の話である。なぜ彼らは故郷から逃げ出し、彼らは今どのようにして生きているのか?

ソートゥン、ティンザーと3人の子供たちは、子供たちの教育のため、2019年にレイケイコ―にやってきた。そこで、彼らはレイケイコ―の管理事務所から土地をもらい、自分たちで家を建てた。当時、レイケイコーは完璧ではなかったものの、彼らはそこに住み、夢を手に入れたのであった。

クーデター後、市民不服従運動(CDM)に参加した多くの公務員や、国軍に追われた市民がこの街に逃れてきた。レイケイコ―はこれらの逃亡者と共に発展していったが、2021年12月14日に国軍がこの街に侵攻し、家宅捜索を行った。そのため、ソートゥンとティンザーの家族は、多くの隣人と同じように逃亡しなければならなくなった。兵士が彼らの家を捜索したときには、彼らは他の村に逃げていた。

 国軍が銃撃を始め、戦闘音が村に近づくと、隠れていた人々は川を越えてタイに向かった。 以前は自分の家に住むことができていたソートゥンとティンザーは、だが、現在は移民学校の前のテントにて暮らしている。

監督: Phyoe Dhana

カメラ・編集 - KyeeKan, Phyoe Dhana

プロデューサー: Synergy

出演: Ko Saw Tun & Ma Thinzar's Family

使用映像 - BBC Burmese, Myanmar Now and Karen Information Center

作家から

レイケイコ―は私の故郷ではありません。しかし、そこは素晴らしい場所で、例えるならタナカ(ミャンマーの伝統的な化粧)を施した18歳の若い女性のような存在です。実際、2015年にレイケイコ―が設立されて6年目です。彼女は、クーデターに反対する多くの人々に安全に暮らせる場を提供しました。

 

現在、彼女は我々のせいで防衛戦の渦中にあります。。国軍は「レイケイコ―に反クーデター派が多く移り、レイケイコ―地方政府が滞在を許可したために攻撃を行った」と述べています

 

私はレイケイコ―に6ヶ月ほど滞在していました。私はレイケイコーのの国内避難民のひとりでした。だから、私はレイケイコ―の社会とその町のために、何かをしなければならなりませんそんな時、リンカーさん (「Lay Kay Kaw Paris」ミュージックビデオの作詞・作曲者)が自ら作成した音楽を私に披露してくれたのです。私たちは同じ夢を持っているように感じ、ミュージックビデオを作成しました。レイケイコ―の国内避難民の方の家族のドキュメンタリーを撮影しようと考えたのは、そのあとすぐでした。

PhyoeDhana-profile.jpg

私は映画監督ではない。ただの映像クリエイターである。しかし、私は撮影をやめるときまで、上達し続けるだろう。私が作成した映像のほとんどは、私の国における不正な社会に基づいている。ビルマ春革命を支えるためでなくては、私はミュージックビデオや映画脚本を作成できないだろう。

  • 1994年5月26日 ミャンマーにて生誕

  • 2010年11月〜2013年14月 タウングー大学 地質学研究生

  • 2013/14年 - タウングー大学 学生委員長

  • 2014年 - Youth for a New SocietyによるYouth Empowerment School Batch 01に生徒として参加

  • 2014年11月 - 教育改革デモに参加

  • 2015年 3月10日 - タラワディ刑務所にて123名と共に不正デモ法(505条、18条、計7条)により逮捕される。

  • 2015年11月01日~11月11日 - タラワディ刑務所にて6人の同志とハンガー・ストライキを行う。

  • 2016年03月 - 2015年選挙後、国民民主連盟政権当局により刑務所から釈放される。

  • 2016年〜2017年 -ヤンゴン大学にて宝石鑑別の学位取得、全ビルマ連盟ヤンゴン大学学生連合にて「オーウェイ・ブック・クラブ」担当

  • 2017年~2020年中頃 -フリーランスのウェディング&イベントビデオクリエイター、フォトグラファー。

  • 2018年 8月4日~8月6日 ヤンゴンにて「獄門の彼方」写真展開催。

  • 2020年中頃~現在 - Synergy Social Harmony Organizationのメディアオフィサー。

  • 2021年~2022年 「新社会のための民主党」にパペーダン郡区2020年選挙キャンペーンプロモーターとして参加。

  • 2021年ビルマクーデター-ヤンゴンにて2人の同志が逮捕された後(2021年9月 国軍により)、5人の同志と共にビデオ制作要員として参加。レイケイコ―に移る。

  • 2021年12月16日 レイケイコ―が国軍に襲われ、タンイン川を渡り、タイで生活する。

  • 2022年 5月 第1週&第2週「同志」写真展をメーソートで開催。

  • 2023年 同志3人とプレミアムレコードビジュアルプロダクションを設立。

「不屈の若者」 ”A Young Man Who Never Gives Up”

リンマウンは、軍が民選政府から権力を奪取した直後に民主主義を回復させたいという願いを表明するために平和的にデモに参加し、他の多くの人々と同様にクーデターを許せないと考えていた若者であった。国軍が平和的なデモ隊に対して行った恐ろしい犯罪によって、そして逮捕の脅威を避けるため、彼は銃を持ち、反撃するためにジャングルに逃げ込んだ。軍のジェット機が彼が参加していた訓練キャンプに爆弾を落とした後、彼は再び逃げなければならなかった。彼はこの時、最前線で国軍との戦いに勝つためには、銃を持つことが重要かつ不可欠であることを理解した。そうすれば、ミャンマーの民主化プロセスから国軍を取り除くことができるからである。故に彼は、仲間に必要な支援を行うために、自分の絵を売ることで資金を調達することにした。

監督・カメラ・編集: エンモーウー

出演: Linn Maung

作家から

困難を伴う新しい環境に身を置き、民主主義を勝ち取るべく国軍に反撃するために助け合う人々の物語は、いつも私に撮影のインスピレーションを与えてくれます。リンマウンと彼のストリングスアートの作品は、SNS上で見つけました。革命的な活動を支援するために、自分の作品を売って資金を調達しているという彼の投稿が私の目に留まりました。私は即座に、人々が彼の話を聞き、動画の中で彼を見たがるはずだと思いました。このチャンスを逃すまいと、彼にコンタクトをとり、インタビューを実現させたのです。軍がデモ隊を取り締まり、村を焼き払い、罪のない市民をテロリストだとして殺し、学校、病院、宗教施設に砲撃を加えるという残忍な行為を見て、国全体が心の底から嘆き、苦しんでいます。地域社会や国際社会は、国内で起きている本当の状況を理解しなければなりません。リンマウンは、国内外にメッセージを伝える良き物語の中の良き人物であると考えました。

EuntMawOo-profile.jpg

エンモーウーは、2012年から2020年まで、The Voice DailyやThe Myanmar Timesなどの地元の通信社にてジャーナリスト、ニュースエディター、ビデオジャーナリストとして勤務。2020年からは、BBC Media Actionでフリーランスのビデオ・ジャーナリストとなる。2020年の総選挙では、ミャンマー在住の日本人ジャーナリスト北角裕樹氏とともにビデオ・ドキュメンタリーを制作。2021年の軍事クーデター後は、フリーランスのジャーナリストとして、Al Jazeera、韓国MBC News、KBS Worldに寄稿する。

https://www.facebook.com/EMOtheclicker

bottom of page