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「雨」から「声」へ ――事件を追いかけ、追いつき、追い越す... 現代美術とハリウッド映画の「眼」から連想する、クーデターの只中にいるアッタン(声)に至るまで 澤隆志


ワッタン映画祭


 2018年、初めてのミャンマー訪問は雨季に行われる「ワッタン映画祭」【1】の審査員と日本作品プログラムの紹介であった。ミャンマー初のインディペンデント映画の映画祭はドキュメンタリーを中心とした国内コンペと海外招待プログラムからなる。僕はここで現代美術をベースとする6名の女性作家のプログラムを紹介した。



ワッタン映画祭会場のワジヤシネマ(撮影・提供:居原田遥)

 遺跡のような渋さを醸し出すワジヤシネマ【2】、対照的にピカピカなゲーテ・インスティトゥートのホール。ゲーテでは上映トラブルが多発していたが、翌朝映画祭のディレクターが丁寧に祈祷してくれたおかげで僕らの回はノートラブルだった。デジタルメディアとスピリチュアリティの出会い!

 作家の表現意欲、観客の他文化の渇望。対して、コントのような検閲行為(喫煙シーンで禁煙アラート表示、飲酒シーンで女性だけ画面をマスキング)。この国の表現状況の生々しいリアリティを感じた。とはいっても軍部の検閲に対してクスクス笑いが起こる程度の緊張感であった。あの頃は。

 熱心な学生ボランティアや、よく呑みよく喋った上映作家たち、毎日路上に寝ていたおじいさん、お寺で丁寧にガイドしてくれてしっかりお金を要求してくれたおじさん、シャン地方【3】のうまい紅茶を淹れてくれたお姉さん、頻繁に出会う大型の野良犬たち。彼らは2021年のクーデター後、無事でいるのだろうか...



事件へのPASSAGE


 ワジヤシネマでワールドプレミア上映された日本・ミャンマー合作映画『僕の帰る場所/Passage of Life』(藤元明緒、2017)のプロデューサーである渡邉一孝さんから『ミャンマー・ダイアリーズ』(ミャンマー・フィルム・コレクティブ、2022)という新作ドキュメンタリーのご案内を受けた。件のクーデターとそれに伴う軍の暴力に対し、勇気を持って撮影した匿名の市民たちの「眼」を束ねた衝撃的な作品であった。“事件”の話を考え続けているうちに、東京で開催されていた展覧会のことを思い出し、終了間近の町田市立国際版画美術館を訪れた。

 「出来事との距離―描かれたニュース・戦争・日常」展(2023年6月3日–7月17日)は戦争や災害、事件、事故などニュースをどういう立ち位置、距離感で作品化しているかを提示するもので、ゴヤや月岡芳年、浜田知明らの作品とともに若手作家もとりあげ、特集として松元悠のリトグラフ(石版画)や漫画、その原画などが展示されていた。




“事件”になって変わる

《蛇口泥棒(長浜市、東近江市、砺波市)》/リトグラフ、BFK紙/490×650㎜/2022

 ひっかかりやわだかまりを感じる事件を見つけると、松元はしばしば事件の現場に赴き観察・撮影したあと、事件の当事者に似た服装をして自撮りをする。その後、現場の風景写真と自撮り動画のワンシーンをPhotoshopで合成して事件を再構成する。劇場化した報道を裏返し、報道された現場で一人劇のような時間を過ごす。その感覚や興味の断片を断片のままコラージュとして画面に収める。描かれている人物の顔はすべて松元だ。


ニュースメディアが視聴者参加型になってから久しいこの時代は、ニュースを見る側の態度も厳しく問われようになってきた。作品を生み出すことは一つの悪であり、私のやっていることは野次馬のそれと 変わりない。【4】

 事件をトレースし、演じ、いっとき“事件”になって変わることで事件の肖像と作家の自画像が重なる。


そうしてメディアと暴力が地続きになるなかで、直接出会わずともコミュニケーションが可能なのかというところに私の関心はあるので、対象はなんであれそのことは探究していきたいと思っています。【5】

 作家をさらにユニークにさせているのは、2021年から法廷画家としての仕事をもスタートさせたことである。劇場化されたニュースから着想しているうちに、法廷という、人が人の筋書きを書き換えてしまう劇場の記録を短時間で描く仕事を兼務するという、稀有な存在となった。新作《蛇口泥棒 (長浜市、東近江市、砺波市)》(2022)は法廷画を担当した事件から着想し、現場を体感し、蛇口に触れ、版画を刷り、それまでの経緯を漫画で綴るというプロセスとなった。蛇口に含まれる銅目的の窃盗→銅管→金網然と配置された自転車のパイプフレーム→『自転車泥棒』(ヴィットリオ・デ・シーカ、1948)というディテールが飛躍しつつ並置される様は、不気味さと可笑しみの混ざった事件の極私的な肖像となった。



映えのために盛る、そして“事件”は追い越された

 

 松元悠の版画、原画、漫画の展開を見てすぐ思い出したのが、2014年のダン・ギルロイ監督作『ナイトクローラー』だ。



  LAで頻発する事件、事故映像をTV局に売る仕事で成り上がる男の話である。起こった事件の現場にいち早く到着してカメラに収めることが必須なため、車も無線もPCもどんどんグレードアップして、手法はますますリスキーになる。主演のジェイク・ギレンホールの目は他の出演作品以上に見開き、“カメラを持った男”の狂気は臨界点に達する。

いったいどういうことか。それは事件に追いついてしまうことである。さらに、事件を追い越してしまったことであった! リスクを追い、速さを追求して限りなくフレッシュで“映える”事故や事件とするために、事件に介入してしまうのだ。遺体の位置を変え、逃走犯を捜索し、追跡、そして...



"事件"のなかのカメラたち


 《蛇口泥棒(長浜市、東近江市、砺波市)》も『ナイトクローラー』もフィクションである。長い時間をかけて作られ、出来事との距離を十分取って(ときに接近して)できた平時の作品である。対し、『ミャンマー・ダイアリーズ』は有事だ。銃を向けてくる軍隊を命がけで撮影した記録で、もちろんクーデター下の国民は映画を鑑賞することはできない。映画の存在すら知らない人のほうが多いのだろう。彼らの声が諸外国に届いて変化の契機となるためには、僕らが観る、そのことから始めなければならない。平時のなかにいる僕らにとってなかなか想像しにくいのは、オンライン/オンサイトそれぞれで人が特定される危険性である。気軽な鑑賞や対話が、その相手をも危険にさらしてしまう可能性である。映画ではその配慮が行き届いていて、撮影場所や人物をぼかし、クレジットもアノニマスにしている。オンラインでのゲストトークも仮名で行っていたようだ。日本在住のミャンマー国民も沢山鑑賞していたと聞く。




 相変わらず気になるのは、作者、企画者、上映者、鑑賞者の安全である。ミャンマー往訪時、彼の国では5人以上の集会が禁じられていたと記憶する。作品の制作国やジャンルや興行の具合に関わらず、鑑賞後気軽に言いたい放題することも映画の醍醐味のひとつであろう。だが、2023年の日本や諸外国であれば、制作者も鑑賞者も安全でいられるのであろうか?

 ひるがえって、クーデター後の世界においてオンラインでの鑑賞やらトークやら対話に対してミャンマーの内でも外でも、身構える気分はある程度理解できる。住所のかわりにIPアドレスが根拠になったりするかもしれないという用心。個人特定、告発の恐怖。一方、他国の映画館でのリアル上映においては逆に匿名性が保たれるのかもしれないなということに気づく。時間や空間から開放されたインターネット空間に個人特定リスクが残り、旧態依然とした「映画興行」が、不特定でアノニマスな個々人のシェルターになるのかもしれないという予感。オンラインで繋がって時間も空間もチートできるという甘美な期待がある一方、個人の許容を超えたところでコントロールされているかもしれないという不安。制作者の思惑とは別に鑑賞者の知恵も必要になってくる未来が控えているのかもしれない。僕にはまだわからない。


 『ミャンマー・ダイアリーズ』の映画興行に続き、「ドキュ・アッタン」なるミャンマー支援のためのオンラインプラットフォームができたことを知った。鑑賞、購入、支援がワンストップで行われるというハックでナイスな頓智だと思う。彼ら作家や企画者から上記のような心配事に対する賢い対処を聞いてみたいと強く感じた。特に、『ある教師の革命』(エンモーウー、2023)におけるクーデター後に教育難民と化した子どもたちをオンラインでサポートする枠組みに感銘を受けた。




やれる立場で、やれるリソースを使って、やれることに最大効率で挑戦する。最短で。まさに有事のアティチュードである。我ら自称"美しい国"が天災、人災で一気に困難に陥るかもしれない事態は想像できても、過去や他国の事例に共感して学ぶことは本当に難しい...

 機会があれば、オンライン/オンサイトにおける表現とその受容に関して対話をミャンマーの当事者とそれを繋いでいる日本の企画者とも話し合ってみたいと思った。起こるかもしれない有事のために。


(澤隆志)


【1】 ワッタン映画祭は2011年に始まった映画祭で、ミャンマーの映画製作者やアーティストたちにより、例年9月に開催されている。

東京芸術大学のウェブサイトTMOP内に、この映画祭に携わるタイディー氏とトゥトゥシェン氏のインタビューが掲載されている。「CONVERSATION #2(Thai Dhi & Thu Thu Shein)」(https://tmop.geidai.ac.jp/conversation/conversation-02/)

【2】ワッタン映画祭のメイン会場であるワジヤシネマ(Waziya Cinema)は約100年前に建てられ、現存するミャンマー最古の映画館と言われている。

【3】中国、ラオス、タイと接するミャンマー東部の地域。イギリス統治中は長い間外国人の出入りが禁じられていた。

【4】松元悠『蛇口泥棒日記 法廷から版画をつくるまでの記録』(ナナルイ、2023)「あとがき」より


 

澤隆志(さわ・たかし)

キュレーター。2000年から2010年までイメージフォーラム・フェスティバルのディレクターを務める。現在はフリーランス。パリ日本文化会館、あいちトリエンナーレ2013、東京都庭園美術館、青森県立美術館、長野県立美術館などと協働キュレーション多数。「めぐりあいJAXA」(2017-)、「都市防災ブートキャンプ」(2017-)、「写真+映画=列車」(2018)、「浮夜浮輪」(2018) 「継ぎの時代」(2022-) 「たまき -eastern film promises」(2023) など企画、運営。




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