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【カメラ機材の寄付を募集しています】
-長井健司さんの追悼企画-

長井健司 最後のレポート (撮影:長井健司 APF通信社提供)

ジャーナリストの長井健司氏は2007年9月27日、ミャンマーのヤンゴンで、僧侶らによる民主化デモ「サフラン革命」を取材中に銃撃され、命を落とした。彼が倒れても撮影を続けていたビデオカメラは、兵士に持ち去られ行方不明となっていたが、16年の時を経て2023年、ミャンマーの独立系メディア「ビルマ民主の声(DVB)」の手によって、妹の小川典子さんの手に渡ることになる。

 このビデオは、そのカメラに残された長井健司氏の最後のレポートの記録である。このビデオによって、長井氏が何を記録したかったのか、現場で何が起こっていたのかを理解する手掛かりになったことは確かである。しかしその一方で、映像を見ると、以下の新たな疑問が浮かび上がる。

 

  • 長井氏が射撃される瞬間が記録されていないこと

  • 長井氏がその日に撮影した長時間の撮影記録が失われていること

  • 長井氏の撮影以外にも不審な人物が映っていること

 

また、依然としてミャンマー軍は責任を認めておらず、長井さんを射殺した人物も特定されていない。

 こうした謎を解き明かすため、ドキュ・アッタンは小川典子さん、長井氏が所属しており映像の著作権者でもあるAPF通信社の協力を得て、このビデオをミャンマー語に翻訳し、情報提供を呼びかけたい。事件については、ミャンマー人の心に深く残っており、当時の事情を記憶しているミャンマー人は多いはずである。ミャンマーの人々と一緒に真相究明に向けて行動することができれば幸いである。

情報はこちらまで:

docuathan@gmail.com

Nagai's Camera Projectについて

長井健司さんの追悼企画として、カメラなどの撮影機材の募集を行っています。ドキュ・アッタンでは、ミャンマーでの弾圧を逃れ、タイの国境地帯で活動をしているジャーナリスト/映像作家たちに機材を無償で貸し出す活動を行っています。第一弾として2024年2月、寄贈いただいた10台のカメラなどを現地の届けました。

寄贈をご検討いただける方はdocuathan@gmail.com まで。

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​2023年12月。タイの国境地帯にて、現地のパートナー団体へと受け渡されたカメラ機材。

【主に募集する機材】

  • カメラ

  • デジタル一眼もしくはミラーレス、ビデオカメラ、またはアクションカメラ。おおむね2010年以降のモデルで、動画撮影ができるものを希望。できれば、レンズや充電器など一式であると助かります

  • ガンマイク

  • ジンバルやスタビライザー

  • 外付けHDDやSDカードなど記憶媒体(未使用)

※ミャンマー人利用者への貸し出しを基本とする予定ですが、機材によっては寄贈する可能性があります。一式がそろわないなどプロジェクト上の都合によっては、換金して別の機材を購入する場合がありますのでご了承ください。

【長井健司さんについて】

 APF通信社所属の長井健司さんは2007年の僧侶らによる民主化デモ(サフラン革命)の取材中、当局に銃撃され、命を落としました。妹の小川典子さんらは、長井さんが撮影していたカメラとビデオの返還をミャンマー側に求めていましたが長年実現せず、ミャンマーの独立系報道機関のビルマ民主の声(DVB)が入手して2023年4月、小川さんに返還されました。しかし、射殺された経緯や、カメラ返還の経緯などは謎に包まれており、小川さんら関係者は、真相の解明を求めています。

【小川典子さんのコメント】

 私は常々ミャンマーの方々の為に何か出来ることはないかと考えていました。上智大学の根本敬名誉教授にご相談したところ北角裕樹さん久保田徹さんによるミャンマー人ジャーナリストを支援する活動に協力する事を提案して頂きました。全く何もわからない私のような者に‥と戸惑う気持ちだけでしたが今は微力ながらもお手伝いする事が出来ればと考えております。大きく後退しているミャンマーの民主化をもどかしい気持ちで空の上から見ているだろう兄もきっと全力で応援してくれるだろうと思います。またこの活動に参加させて頂き兄の事をミャンマー国内で少しでも広く知ってもらう事で16年前の銃撃事件の真相究明につながる情報がより多く集まる事を心より期待しております。

【代表理事・北角裕樹のコメント】タイに逃げざるを得なかったジャーナリストたちは、タイ当局の摘発や経済的な困難にもかかわらず、ミャンマーで起こっていることを伝えようとしています。彼・彼女らを支援する方法を模索しているうち、小川典子さんとのご縁ができ、共同で機材貸し出しの企画をすることになりました。私がヤンゴンに滞在していたのは、長井さんが射殺されたずっと後のことですが、命日に花を供えるために現場を訪れると、私以外の誰かが同じように花を備えてくれているのを目にしました。長井さんのことはミャンマー人の記憶にも残っており、これまでも日本とミャンマーのジャーナリストが思いを同じくして活動してきた証だと思います。

【代表理事・久保田徹のコメント】

 ミャンマー危機以降も、世界ではウクライナ・アフガニスタン・パレスチナなど、虐殺・人道危機が続いてきました。メディアの関心が急速に移ろい、ミャンマーで起きていることが忘れられてしまったのではないかという声を聞きます。忘れてはいけないことは、私たちが「伝える側」で、彼らが一方的に「伝えられる側」ではないということです。報道の自由が完全に破壊されてしまったにもかかわらず、彼ら自身で、彼ら自身の身に起きていることを主体的に伝え続けています。カメラを送ることは、そのような活動への直接的な応援になると思います。2007年のミャンマーの地で命懸けでカメラを回し続けたジャーナリスト、長井健司さんのお名前をお借りし、撮影機材の募集を行います。

【イメージイラストについて】

 長井健司さんは、デモを取材中に撃たれてもカメラを放さなかったといいます。2023年に発見された長井さんの最後のレポートの映像を参考に、ミャンマー人アーティストが描いたイラストです。ミャンマーではクーデター以降、画家や詩人など多数のアーティストが抵抗の声をあげましたが、激しい弾圧にさらされ、逃亡を余儀なくされた人も少なくありません。

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